笑われてもいい。仕事には「愛と情熱」が必要ですね。
最近、アメリカの航空会社の対応について、何かと話題になることが多いですね。
そんな中で、JALの「こいのぼりフライト」の記事を読んで、なんとなくホッとした気持ちのGWです。
日本の航空会社で働いている人は、基本的に「航空会社で働きたい!」と思って入社した人が多いと思います。「空が好き」「飛行機が好き」「旅が好き」そして、「お客さまの笑顔が好き」という人たちの集まりです。
「JALは官僚的だ」「JALのサービスは…」と言われることも多かったのですが、特に現場の社員は、それも「お客さまからの大きな期待のあらわれ」なのだと受け取っていたと思います。
新人1年目のGWの時期。私は成田の寮に住んで、成田空港支店で勤務していました。
サービス業に従事する人は、GWなど世間がお休みの時が繁忙期。
GWに少しでも戦力になるようにと行われた厳しい研修の後、大混雑の空港の中で仕事をしました。大変だったと思うのですが、その忙しさは、自分が組織の一員として、微力でも役に立てているという実感がありました。
緊張の連続でしたが、とにかく仕事に行くのが楽しくて、新しい知識や機械操作を覚えたり、教えられていないイレギュラーになんとか対応できた時の喜びや、失敗した時にものすごく怒られて、その責任の大きさを痛感したり…。自分の勤務時間はあっという間に感じるほどでした。何より、お客さまと接するのが嬉しかった…と今でもその光景が目に浮かびます。
シフトによっては、朝は4時起き、帰りが0時近いこともありましたが、「働くのって、緊張するけど、やりがいあって楽しいね。」と同期で話したことも思い出されます。また、成田という土地柄、ほとんどの人が会社の寮か社宅に住んでいて、休みも平日なので、近くでテニスをしたり、買い物や食事に行った先で会ったり、どこか家族的なコミュニティのつながりもあったように思います。
空港で働くと言っても、全くお客さまと直接顔を合わせない仕事の人も沢山います。
愛想のない厳ついランプさん(出発時の航務全般を仕切る人)や強面の空港マネージャーなど、「この人をお客さまの前に出して大丈夫?怖いし…(ブルブル)」というような人もいました。でも、よーく話してみると「自分なりのお客さまへの正義」みたいなものを貫いていて、知識も驚くほど多く、定時運行に強い使命感を持っていたり、空港のシステムダウン、台風や大雪などの緊急対応時にはめっぽう頼りになる人たちでした。
空港の近くには、到着したスーツケースが、途中で乱暴な扱いを受けて、凹んでしまったのを直す会社の人などもいました。全くの影の仕事をしているその人も、「顔も知らない方だけれど、思い出の詰まったスーツケースだから、なんとか直して差し上げたい」という気持ちで仕事をしているのを知って、新人としてすごく勉強になりました。だからこそ、直接お客さまと接する自分たちは、頑張らなくてはいけないんだ!と思いを新たにしました。
後に、本社の部門で、広い会社の中に埋もれている「サービスの達人」を全社に紹介するという仕事をするのですが、この現場経験がとても役に立ちました。
また、客室の訓練部で、ある教官に言われたことがあります。
「まずは、お客さまが求める標準レベルを全員が出来るようにならなくてはならない。誰かが飛び抜けて素晴らしく、誰かが全く期待ハズレでは、お客さまの支持は得られない。まずは自分とチームのレベルを引き上げて、創意工夫はその次に大いにやれば良い」
はじめに聞いた時には、その意味がよくわかりませんでしたが、日本の航空会社のサービスが諸外国に比べて良いとされるのは、その標準レベルが保たれているからかなと今は思います。
当時から、とにかくお客さまに喜んでいただきたくて…という新しい企画を作る人も沢山いました。
「(恥ずかしがり屋の)機長のアナウンスのレベルをもっと上げよう」
「(理工系男子の秘密の花園的な)整備スタッフがお客さまと接するチャンスを作ろう」
今では、当たり前になったことばかりです。
JALも厳しい時代がありましたが、それでも飛行機に関わる仕事を愛する人たちが会社を支えてくれていて、だからこそ、この「こいのぼりフライト」が出来たのでは?と思うと、変わらない部分と新しくバージョンアップした部分があることを感じます。
このニュースを聞いた時、幸せな気持ちになりました。
実は転職した前職で、私が「この会社に必要なものは'愛と情熱’です!!」と力説して、「うわー、カイトさんらしいわ〜」と笑われたことがありました。私は200%本気で言っていたのですが、伝わっていたかな…(涙)。
航空会社のサービスの差別化が難しい時代ですが、日本の航空会社に「愛と情熱」がある限り、希望があるのではとやっぱり思ったGWでした。
仕事や学校、家。それ以外のもう一つの居場所を作る理由。
前回のブログ更新から、あっという間に6ヶ月が経過してしまいました。
満開の桜が、雨に濡れながらも花びらを散らさずに咲いている力強い様に感動した今日の始まりです。
早速、今の私が何をやっているのか…についてです。
実は、都内に、志ある人が集って、学んだり、発信したりする場所を作っています。 そこは、住むこともできますし、仕事をする場、オフィスとして使うことも出来ます。
きっかけは、地方から、進学や就職で東京に住むことになった若者たちが、自分の地元との関係が薄くなってしまうことへの課題感から。 ここ数年で、秋田、福井、新潟、広島、三重、宮城を訪れたり、そこにお住まいの方々といろいろな話をする機会がありました。
地方にお住まいのみなさんから聞かれる声として、共通すること…。
それは、
「地方から一度若者が出て行ってしまうと、帰って来ないことが多い。仮に帰ってきても、彼らにとって魅力的な仕事や場所を提供することが難しい。」
「私たちも時々、東京に行く機会もあるけれど、ただ見物をするのじゃなくて、東京で住むような感覚で、何かを学び取れたらいいなと思っています。」
という声でした。
東京で地方出身の大学生や若手の社会人と話す機会もありました。
「いつかは地元に帰りたいと思っているけれど、東京に出てきた自分とずっと地元にいる親や友人と話や価値観のすれ違いを感じることがある。これまでとは違う世界を見た自分が地元で自分らしくやっていけるのか、心配になる時がある。」
という声でした。
せっかく、いろいろなことを学んで、いろいろな新しいアイデアを地元のためにと提案しても、「今のままでいいのに」と地元の人に求められていないなら、変化は意味がないことなのかな…と悩む若者たちが多くいるということを知りました。
また、都内で学ぶ学生や働く人たちから、こんな声も聞かれました。
「世の中の価値観が変化していて、副業をやるとか、パラレルに自分の世界を持てって言われるけど、自分はお金がもっと欲しいわけじゃない。サードブレイスって、どうやって見つけたらいいのだろう?」
という声です。
こういう何気ない私の周りの人たちの「声」は私にとっての貴重な資源となりました。
そこで、
・地方とのつながりを途切れさせずにいたい人に向けて
・時々、東京に来て、いつもと違う新しい空気や学びを感じたい人に向けて
・仕事や学校、家以外のもう一つの自分の居場所を持ちたい人に向けて
みなさんが、それぞれの目的に応じて集まったり、発信したり、学べる「リアルな場所」を作ることにしました。
工事は5月のはじめに完了予定です。
実は私自身が、会社員として勤めている間に、「ブートレック(空いた時間で別の何かを生み出すことや実験)」をやってきました。 それが、自分を見つめ直したり、新しい人間関係を築くきっかけになったり、何より「自分の足で立つ」ことの幸せに繋がったように思います。 仕事や学校、家以外に、自分の居場所をいくつか持っておくことの重要性をとても実感してるのです。
私と少しでもつながりのある方々に、是非、その場所を使っていただきたいと思っています。
間取りは決まって、箱はできつつあります。 でも、それをどんな目的で使おうか、どんな家具を置こうか、どんなルールにしようか…など、これから決めて行く段階です。
居室の天井におしゃれな電球が灯った写真だけ、チラリとお見せします(笑)。
(今回の改修をプロデュースを頂いているのは、青森県弘前市の気鋭の建築家の方です。)
たまたま、荒川区内に場所が決まりましたが、山手線の駅からも歩けるし、静かだし、近くに人情味溢れる商店街はあるし…で、 個人的にとっても気に入っている場所です。
詳しいことは、また改めてお伝えします。 5月には内覧会も予定していますので、是非、お越しくださいね。
まずは予告編で、これから少しずつ情報をお伝えできたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いします。
これから、自分の仕事が目指すところ。
会社を辞めて、9ヶ月が経とうとしています。
別の会社に転職しなかったのは、いずれ組織の枠が外れる日が来るなら、出来るだけ早いタイミングで、「自分」という個人が世の中でどの程度、必要とされるのか?を試してみたかったからです。
本当は45歳くらいで…と前々から思っていたのですが、その時期は仕事が乗っていて、面白い仕事を任されることが多く、その魅力には抗し難かったので、実際には、予定よりも少し遅くなってしまいましたが。とりあえず、スタートが切れました。
これまで、世の中の多くの働く人がそうであるように、私がやってきた仕事そのものはもちろんですが、上司や環境についても、「パーフェクト!」ということありませんでした。でも、いつでも何かしらの課題があったので、「仕事っていうのは、結局、次々に課題解決をしていくこと」なのか…ということも分かりました。
今はそれも良い経験だったと思いますし、女性のキャリアを考える、後輩たちの道筋をつけるということに思いを寄せることが出来たのも、ある程度、周りを見渡す余裕ができたからだと思っています。
これは、ライフネット生命の出口治明さんがおっしゃるところの、「人は誰もが、世界経営システムのサブシステムである」ということを実感することにもつながりました。
世の中の人が、それぞれ、自分の周りにある課題を解決してくことで、世界が少しずつ望ましい方向に行くということです。
これまでの9か月、走ったり、立ち止まったりしながら、会社を辞めた今の私の役目というのは、何だろうか?と、ずっと考えてきました。
以前からお付き合いのあった方に、仕事を頂いたり・・・。
それは、本当にありがたいことでした。
何人かの人から、「会社という看板があるから、仕事ができるのであって、自分個人だったら、相当の価値が無いと仕事なんて振ってもらえない」と聞いていました。私自身も、そう思っていました。実際に、会社員時代には「●●社のカイトさんだから…」ということで、お話をいただいたり、アポを取っていただいたりということがあったと思います。
フリーになって感じるのは、「声を掛けてくださいる人がいること」の有り難さです。会社の枠が無くても、私個人と付き合ってくださる人は、本当に大切にしたい方々だと実感しています。
反省すべきところは、これまで、フリーで仕事することのペースが良く掴めていませんでした。
元々、仕事をするのが好きなのと、これまで、あまり振られた仕事を断ったことがないので、とにかく仕事をやりたい一心で、本当は興味や面白さがよくわからない仕事をしようとしたこともありました。
また、会社の中では、「あなたのタスクはこれ、およびその周辺」と範囲が決まっていましたが、フリーになったら、軸さえブレなければ何でもありです。それゆえ、「やったことない事に挑戦してみたい!」と色々広げすぎて、時間にばかり追われてしまったこともありました。
せっかく声をかけてくださったのに、きちんと対応できずに、不義理をしてしまった時もありました。それには本当に深く反省しています。
そして、落ち込んで、しばらく動けないこともありました…。
最近、イクボスを世の中に広めるための活動を精力的になさっている、川島高之さんにとても良い刺激を頂いています。
川島さんには、以前、社外の勉強会にもお越しいただいたことがありましたが、SNS上に流れてくる、全国を飛び回っている様子。時々いただくコメントに、とても勇気づけられています。川島さんの動きを通じて、これまで中々具体的な動きがなかった、「ダイバーシティの推進」や「女性活躍」について、大きなムーブメントを起こされているなあということを特にこの頃実感しています。
イクボスに関して言えば、今まで、オセロの黒一色だったものが、パタンパタンと白に変わり、今やその勢いが止まらない感すらします。それは、やはり川島さん(および、ファザーリングジャパンの方々を含む)の思いの熱量と行動量が圧倒的だからだと思います。
人は、他人が何かをすると「あの人はああいう立場だから、ああいう性格だから出来る」とか、逆に自分が何かをできないことに「そうは言っても、自由がきかない立場だし、自分には条件が整っていない」みたいに出来ない理由を探しがちです。私にもそういう部分があったことに、気がつきました。
「変えたい!」と思う人たちは、その出来ない理由を超えられるわけです。
自分はどうだったか?と言えば…。その時々は精一杯やっていたつもりでしたが、やっぱり熱も行動もまだまだ足りなかったなと、反省することしきりです。自分の部下たちにもっとこうできたら良かったのに…などと、夜、布団の中で後悔にかられることもあります。
その昔、航空会社に勤め始めた新人の頃の研修で、「昔は女性社員の定年は35歳だった。それを、先輩方が少しずつ押し上げて、男性と一緒になった」という話を聞きいたことがありました。その時は、何も考えずに聞いていましたし、自分に男性と同じ労働条件が与えられていることを「当たり前」だと感じていました。
でも、会社や世の中の常識を変えて、後輩たちにその「当たり前」を残してくださった先輩たちは、きっともの凄いエネルギーだったのだろうなあ、と。今になって、ようやくわかるような気がしています。
「イクボス」は、世の中や人々の考え方の枠組みが、また一つ大きく変わろうとしているキーワードだと思っています。
最近、私の周囲に「幸せ」「ソーシャルグッド」ということを軸にして仕事をしたい!という人が集まっています。
ある広告に関わる仕事をされている方は、何億という仕事のオファーがあっても、それがソーシャルグッドでなければ受けない。やる意味があれば、あえて何千万の仕事の方を選ぶと言っていました。そして、本当に必要としている人がいれば、無償でも引き受けるとも。(すごいですね。単位が違います)
私はそこまで規模の大きな仕事に関わっている訳ではありませんが、やはり「ソーシャルグッド」につながる仕事をして行きたい!と、改めて思っています。
そこで、改めてお願いです。
もし、私でお手伝いできることがありましたら、お声がけいただき、どうぞ使ってください。これまで学んだり、実践してきた知恵を経験を総動員して、「世界経営計画のサブシステム」としての役割を果そうと、今、改めて思っています。
少しずつ、動き始めたプロジェクトもあり、それについても順次オープンにしていきたいと思っています。
そして、まだまだ余力がありますので、どうぞ使い倒してください。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!!!
答えは一つじゃない、楽しさ。
最近、また紙の新聞に戻しました。
紙にしたり、WEBにしたり、両方だったり…。いろいろ試したのですが、また紙の新聞を読んでます。
紙の良いところは、パッと見て、どんな情報が紙面にあるかがわかること。それから、自分に興味がないテーマや存在さえも知らないような情報が飛び込んでくることです。
また、その時々に自分の課題を持って新聞を読んでいると、「あ、これヒントになるな」という情報が入ってくることも良い点です。
家の近くに某通信社の施設があります。
これまで、平日昼間に家にいることなど無かったので、近くにあるのにあまり利用したことがありませんでした。でも、ここでは全国の地方紙がほぼタイムリーに読めるのです。 電子版ではなく、「紙」で、です。
さすがに膨大な量なので、全部は読めないのですが、パラパラと何紙か見ただけで、新しい気づきやアイデアが生まれてくる感じがしました。見慣れた新聞だと、曜日や面によって、記事のカテゴリーが決まっている安心感がありますが、別の新聞は予測がつかなくて、落ち着かないけど、新鮮だったり。同じ記事でも東京と扱いが違うとか、一見関係ないようなローカルな記事が良いヒントになったりします。
私は東京に住んでいるので、ニュースは東京や関東のものが多い。でも、それって当たり前じゃないということにも気づきました。
それから、紙の新聞から得られる情報は、PCやスマホの画面より多いように思います。PCやスマホは画面の中に情報があって、枠(フレーム)を感じるけれど、紙は面積が広くて、紙の外側の世界との境界線がない感じ。だから、発想がどんどん湧いたり繋がったりする物理的な効果もあるのかなあ。
できれば、新聞は混雑している狭い電車内とかではなく、机に広げて読んだ方が発想という面ではいいみたいです。その施設は空間もゆったりで、その点でもバッチリでした。
最近、ブレストをよくやってます。
何を今更…と言われそうですが。
実はブレストを含めた思考法を学び直しているからです。
もっと自分の脳を柔らくして、無意識のうちに付いていた自組織視点の発想の枠を外すためにも「いいブレスト」を改めて実験的にやっています。
全然違う仕事をやっている人たち、学生、またそのミックスとかでやってみると、本当に思いもよらない意見が出てくるものです。
自分からは全く出ないようなアイデアを出してくれるメンバーたちに「さすが〜!!」と大感激することもよくあります。
先日、18歳の3人に混ざってやってみたのですが、面白い感想をもらいました。
「脳がフル活動する感覚。すっごく楽しい。でも、もっと自分の中にはいろいろな考えがあるはずなのに、言葉にできないことが悔しい。学校では、こういう機会が殆ど無かったので、難しい面もあるのかも。」と言うのです。
驚きました。若いのに…。
彼女が言うには、「大抵の話し合いは、誰かが1つ意見を出すと、場から違う意見が出なくなる。その意見がすごく良いと思っているわけでは無いけれど、それしか出ないから、結局気乗りしないまま、進めるっていうことがよくある」というのです。
「何で、そんなことになるの?」と聞いたところ。
「学校でも、家でも、物心ついた時から求められるのは’正しい1つの答え’という場面が殆どだった。それをどうやって早く見つけるか?が勉強ができるということだと思っていた。だから、何でも’答え’から考えるのが癖になってるのかも。自分の意見を否定されるのも、他人の意見に勝つみたいになるもの気まずいし…」
ブレストそのもののテーマだけでなく、これも新しい発見でした。
これは彼女に限ったことではなく、同じような話は新入社員などからも聞くことです。優秀な学校を出て、周囲から「出来が良い」とみられるためには、バランスが大事とどこかで学んでしまっているようです。
話は少し違うかもしれませんが、以前、職場の先輩から、「仕事って、自分の考えとかじゃなくて、上司が何をしたいのか?何をゴールだと思ってるのか?の先を読むことだよ。仕事ができる人はそれをやっている。(だから、自分はここまで出世したと言いたい?)」と教えられたことがあります。
日本人は会議の場で、「考えがあるはずなのに発言しない」と言われています。でも、もしかしたら、会議の場は自分の意見を言うのではなく、「上司の考えを読み取る場」だと思っている人が多いからかもしれないな…とその時に思いました。
考えを泉のように湧かせるには、やはりトレーニングが必要だと思います。どんな意見でもOKという安全・安心の場を作ることも大事。
「社会に出たら、答えが明確に1つというわけでは無くて、まずは考えや可能性をなるべく ’幅広く’ かつ ’量’ 重視でアイデアを出すことがスタート。その中に光る答えの原石があるかもね…」
と、その18歳に伝えたところ、目を輝かせて、「何だか、ブレストって頭がすっきりして楽しい。また、やりたい!」と言ってもらえました。
ブレストで発散させたアイデアを、収束させていく過程もまた面白いのですが、それはまた別の機会に。
人事のプロとしての「らしさ」。でも、「らしくない」のも大切。
少し前に、いろいろな会社の人事担当者の方が集まる会で、ファシリテーターをさせていただいたことがあります。
キーワードは、「ダイバーシティ、キャリア、人生」。
私が会社員を辞めた今でも、自分のテーマにしていることです。
業種、役職、男女などもバラバラで、人事経験が私よりもずっと長い方もいらっしゃるような会でしたが、 初めて会った方たちが、ディスカッション出来るように共通の前提となるようなお話をさせていただいた後、グループに分かれて意見交換という流れでした。
参加者の方から聞かれた感想、気づきとして出た点はこんな感じです。
・そもそも「ダイバーシティ」という言葉はよく聞くけれど、本当の意味はわかっていなかった(女性の子育て支援とイコールだと思っていた)。多分、ちゃんと理解している人はあまりいないのでは。
・働くと言うことは「会社に雇われること」だと思い込んでいた。
・キャリアって、昇進・昇格の話だけでは無いということ、人によって捉え方が違うと気づいた。
・会社員のキャリアって、上司や会社によるところが大きく、自分はそれに合わせるイメージ。自分らしさの発揮は二の次だと思っていた。
・若いうちは転職を考えたけれど、今は慣れた環境から抜けられない。定年後も考えなくてはいけないけれど、よくわからないので後回しにしている人が多い。
・「女性活躍推進」「ダイバーシティ推進」みたいな流行りは、人事業務のプラスアルファの負担になっていて、内心、迷惑だなと思っていた。
・本当の本当の本音で、女性活躍をやろうと思っている会社ってどの位あるのか?本音では、担当業務だからやっている感じ。
・「女性活躍」という言葉そのものに抵抗を感じます。(男女、年代問わず)
・・・・・などなど。
最後の方は、段々本音が出てきて、結構面白かったです(笑)。
これって、人事担当者のみならず、働いている方にも共通する感想かもしれませんね。
私自身も、ディスカッションを聞いていて、幾つかの気づきがありました。
特に面白いな…と感じたのは、次の2つの点です。
「ダイバーシティ」とか「女性活躍」とか、(それぞれの組織で違いがあっても良いと思いますが)制度などの策定前に言葉の定義についての議論はほとんどされていない。「キャリア」「ライフプラン」みたいな言葉も同様です。前提が曖昧なままだからか、いざ施策を作ったけれど、社員への説明はもちろん、自分自身でも腹落ちしきれていないようでした。
人事の経験が長い方ほど、「人事とは会社視点で考えなければいけない」という気持ちが強い。それが「プロの人事パーソンらしさだ」と思っている。それに比して、現場や他部門から人事に異動して日の浅い人は、「まだ、社員としての視点から抜けきれず人事らしくなりきれない」と思っているように感じられました。
「女性活躍推進」という言葉に抵抗を感じる…という意見も多く聞かれたのですが、「それについて、人事内や経営、社員と話をしましたか?」と質問すると、「いえ、もうやると決まっていたことなので」との答えが殆どでした。
私自身、以前の会社で「ダイバーシティの推進が必要だと思います!!」と言い始めた10年位前には、周囲の人の殆どが「それ何?」という状態だったので、説明を求められ、わかってもらえるまで議論をし、説明も工夫しました。そして、その過程で、自分でも「本当の意味や目的は何だろう?」ということを考え、実際の様々な経験を通じて、自分の考えにも何度か修正を加えながら今に至っています。
でも、新しい施策として担当者に降ってきたこと、担当を引き継いだ人にとっては、どこか「やらされ感」「既存の業務という意識」があって、自ら定義を深堀りをしない場合が多いのかもしれないな…と思いました。
また、2番目の「人事としてのあり方、スタンス」。現場出身で人事に異動した人と、入社以来殆ど人事みたいな人にはギャップがあるものです。それゆえ、人事内でディスカッションになっても、現場出身組はどこか自信を持ち切れないところがあったり、人事畑の人は「会社としての見方」が強かったりで、社員の立場から離れていってしまう。そんな場面も実際に見てきました。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということも無いのですが…。
個人的には、「社員の幸せ」を願わない人事(=会社)というのは有り得ないと思っています。その会社や組織で働いている人が、何らかの「幸せ」を感じられる環境づくりをするのが人事の仕事なのだと思っています。
その上で、もし、大切にしなければならない「人事らしさ」があるとすると、それは 「人を大切にする」ということに尽きると、私は思います。
■ 社員の声に真摯に耳を傾ける
■ 秘密を厳守して、公平性を保つ
■ 法律、労務、制度などについての正しい知識を持っている
■ 給与、福利厚生、異動、採用、育成などを、正確に滞りなく迅速に対応する
みたいなことも、人を大切にするための重要な要素だと思います。
一方で、人事が社員のための施策や制度を作り、実行できる立場なのだとしたら、「今まで通り」ではいけないと思っています。
私が人事に関わった、ここ10数年の間でも、「ヒト」をめぐる環境や考え方は随分大きく変化しています。
例えば、育成は、会社の規格に合った人材を一律に育てることから、その人の能力や志向性を見極めて、それぞれに相応しい方法で育てるというように変わっています。
仕事の進め方にしても、上の人の意向を察知して、その実現に向けて自分の考えを封じて働くというよりも、下の人でも闊達に意見を言えるよな職場が良いとされています。経験豊富な人が考えつかないことを経験の浅い人に提案させ、上司がそれをサポートするというような進め方も増えています。同じ部署の人だけでプロジェクトを組むよりも、異能人材を職場横断的に集めたプロジェクトの方が発想緑豊かなアイデアも湧き、生産性も高いという事例も沢山あります。そうなってくると、一律ということは難しく、既存の自己申告制度、社内FA制度やOne on Oneなどを含む面談などに実効性をもたせて、社員の一人ひとりのことを人事や上司がもっと積極的に深く知る必要が出てきています。
このような状況からしても、これまでの「人事のしきたり」にとらわれず、「人事らしくない」スタンスや考え方ができる人も必要だなと思っています。
「らしくない」ことをするためには、社外に勉強に行ったり、社外の人的ネットワークなどから得られる新鮮な情報も役立つことでしょう。
私の周りにも、将来「人事で仕事をしたい」という人が結構います。
もし、今後、人事で仕事をするチャンスがある方には、この「らしさ」と「らしくない」ことを頭において、社員が「幸せ」を感じられる…そんな仕事を是非していただきたいと願っています。
正直に言うと、私が現場にいた時は、「人事って地味な部署だな…絶対に縁が無さそう…」と思っていたのでした。月日が経って、何の因果か今ではスペシャリストみたいに言ってもらえるので、それには内心、申し訳なさがあります(笑)。でも、実際にやってみて、とても面白い仕事だと思っていますよ!
今年の後半は「幸せ」について、掘り下げています。
その話はまた別の機会に!
頑張ってるお母さん、お父さん。きっと大丈夫。
部屋の片付けをしていたら、こんな表紙のものが出てきました。
今、18歳の娘が小さかった時に書いたものです。
学校で書いたものだと、大抵、クラスや名前が入っているから、これはきっと学童クラブで書いたもの。
そして、使われている漢字が「母」「日」「字」だけだから、小学校1年生の時のものかな。
ウチの子は、保育園育ちで、親ものんびりしていたので、字は特に教えなかったのです。
でも、小学校に上がる年の年初から、「ひらがな位は書けた方がいいかな〜」とふと思い、近くの公文に行って初めて書けるようになったので、保育園で書いたのでもないと思います。
扉を開けてみると。
なにやら、一生懸命に書いた文章が。
「ハッスル!ハッスル!」なんて、私、言ったことないけどな(笑)。
・・・・・・・・・・・・・・・。
私、決して、優しかったわけでもなく、ゆとりを持って家族に接していたわけでもなく、あの頃もただただ毎日必死でした。
ちょうど、娘が小学校1年生に入った頃は、空き時間を見つけては大学院の修論を書いていた時期だし、転職も考えていたし・・・。
夫もちょうど仕事が忙しくて、他に手伝ってくれる家族がいるわけでもなく、同僚とのお付合いにも行く余裕もなく。
正直、どうしていたのか?思い出せないほど忙しい毎日でした。
夏休みは学童クラブに通い、会社に時間短縮勤務の制度もまだなかったので、学童後の公文で待ち合わせたり。
公文にも間に合わない時には、近所のママ友の家に預かってもらったり。
(ママ友とちょっと飲みに行けるようになったも、まだまだもう少し先のことだったと思います。)
その頃は仕事も楽しくて、正直自ら進んで帰りが遅くなることもよくありました。
そんな自分に「仕事を優先するなんて、母親失格だな」と自己嫌悪に陥ったり。
・・・・・・・・・・・・・・。
それでも、小さな娘は私のためにこんな風に書いてくれたんだなと思ったら、今更ながら、泣けました。
あれから、本当に色々な幾つもの山や谷があって、今があります。
親の私が言うのもなんですが、娘は人間として結構「面白くて、いい奴」に育ってくれました。
器の大きさだったら、私などとっくに越されています。
見本になるようなことも出来なかったけれど、子どもは、親の一生懸命な姿を見てそれなりに育ってくれるものなのかもしれません。
今、色々と仕事と子育ての間で悩まれているお母さん、お父さんへ。
きっと大丈夫ですよ。
ちなみに、悩みは今も尽きることはありませんけどね。
それでも、きっと大丈夫です。
そんなメッセージを書き残しておきたい気がしました。
信頼が失われる時。生まれる時。
先日の都知事選挙の話題の中で「厚化粧の女」という発言が話題になりました。
その発言そのものも、公の場で他人に向けていう言葉としてどうか?という議論はありますが、私はその時、周囲の人がどう思って、どう行動したのか?またはしなかったのか?ということがとても気になりました。
公の場で、自分よりも上の立場の人が明らかに間違ったことを言った時に、私たちはどう反応するのか?ということです。
「厚化粧発言」をした上の人に、「その発言は不適切ではないでしょうか?」と面と向かって言うことが、果たして出来るのでしょうか?
これは、会社の中にも置き換えることができます。例えば、上の立場の人が…
・「だから、女はダメなんだ」と、公の場所で差別的な発言をする
・「あいつには昔世話になったから、特別に取り計らってくれ」と間違った判断を下そうとする
・「お前にはやる気が足りない」などと決めつけて、執拗に感情をぶつける
などという場面があったとします。
そんな時、その間に入る形になった立場の人はどう行動するのでしょうか・・・・?
話は変わって・・・。
私が最近、周囲の人に薦めている韓国ドラマがあります。
『ミセン(未生)』という、会社員として、組織の中で生きることがリアルに描かれたドラマで、2014年に韓国で放映されると「ミセンシンドローム」と言われるような現象で、全ての世代に影響を及ぼしたと言われる作品です。
プロの囲碁棋士を目指すも叶わず、高卒で一流総合商社に入った主人公グレの部署、グレのエリートの同期の新入社員の部署での様子を中心にストーリーが進みます。
新人の中で唯一の女性社員で、同期の中でも一番優秀だとされていたヨンイは、男性的なオールドネットワークの中で葛藤します。これまで、男性だけの職場で「あ、うん」で通ってきた上司や先輩たちは、はじめて受け入れる女性社員に反発し、戸惑いながらも仕事をキチンとこなすヨンイを次第に受け入れるようになります。
ある時、ヨンイが出した企画が本社で「一番ベストなプラン」と認められ、本部の重点施策となりますが、それが気に入らない本部長はヨンイに「その企画は自分から辞退しろ」と指示を出し、課長にも「昇格の年に自分に逆らうな。部下を説得しろ」と釘をさします。課長はヨンイが並々ならぬ努力の結果として、その企画が出来たことを知っていましたが、上司に「絶対服従」できた経緯から、ヨンイを説得し、ヨンイもそれを受け入れます。 その後、本部長から横暴な物言いや屈辱的な行為が続き、課長の堪忍袋の緒が切れ、部下たちの前で「今後、このようなことを自分の部下にすることはお止めください」と言ってしまいます。予想外の課長の反応に、男性の部下が一番驚きます。男性の部下たちは「上司の言うことは、何があっても絶対なのだ」と、これまでの自分の上司の人の行動を見て、学習してきたからです。
「あー、これで俺の昇格もなくなったな」と課長は言いますが、部下達からの信頼はかえって厚くなり、チームの結束は強まります。 上司は本当にいざという時には、身を挺して自分を守ってくれる…。そんな上司がいたら、何があってもついていこうと思いますよね。
その先のストーリーとしては、その本部長は異動し、本社からは当初の予定通り、ヨンイの企画を進めるように指示があります。
また、別の場面で、主人公グレの上司にあたるオ次長が、自分の同期で、子育てと仕事を抱えながら管理職として頑張る女性のソン次長を助けるくだりがあります。ソン次長は、冷静に仕事をしながらも、自分の部下や新人、世渡りが下手なオ次長をいつもさりげなくフォローするような人物です。
彼女は、社会的な意義はあるけれど会社からは評価されない仕事を引き受け、孤軍奮闘します。部下たちは、「評価されない仕事に割く時間がもったいないので、ソン次長にやめるように説得してください」とオ次長に相談に来ます。そんな中、出張から帰ってきて、ソン次長は過労のために倒れて入院してしまいます。これまで、家族のように面倒を見てきた男性部下からの協力も得られず、結局は出世したくて自分の下で働いていたことにショックを受け、報告書が書けなければ、会社からプロジェクトが打ち切られてしまい、困っている人たちを助けられない。もう、無理して仕事をする意味がわからなくなったので、会社を辞めようか…とオ次長に弱音を吐きます。
オ次長は、自分の仕事も忙しい中、週末に新人を集めて、必死になってソン次長のための報告書を書き上げます。
職場にも、損得ではなく、助け合える仲間や後輩がいることに勇気付けられ、ソン次長は仕事を続ける気力を得ます。 新人たちは、仕事の意義や仲間を本当に助けるという意味をオ次長から学びます。
「ミセン」とは、囲碁の言葉で、「未完成な、弱い石」を意味するそうです。
自分たちはみんな「ミセン」だから、行けるとこまで、踏ん張ろう!という言葉がドラマの中でも出てきます。
長く組織の中にいると、いつしか失敗しないための処世術を身につけている場合があります。それが、「出来るビジネスパーソン」だと考える人も多い。
でも、周りの人には結構見えています。
「言うべきところ、やるべきところ」を見誤ると、周囲からの信頼を大きく失うことがあると思っています。
自分の人生を振り返った時、潔く、清々しくあるためにも、自分軸をしっかり持とうと改めて思いました。
ちなみに、この『ミセン(未生)』は今フジテレビで日曜9時に放送中の『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』の原作ですが、日本版はちょっと内容が軽く感じてしまうのが残念です。原作の方がよりリアリティがあり、しっかりした作りです。DVDのレンタル、BSジャパンかU-Nextなどでご覧いただけると思いますので、ご興味あれば、是非ご覧ください。